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衣川産業のあゆみ

衣川産業株式会社は日本の鞄の3大産地のひとつ兵庫県豊岡市で誕生し、今も鞄を全国に幅広く販売しています。
豊岡で作られるようになった鞄の歴史は古く寛文8年(1668年)に丹後の田辺(京都府舞鶴市)から豊岡へ移封された京極隆盛が産業の保護推奨策として柳行李(やなぎごうり)というものを取り上げたことが始まりとされています。柳行李とはコリヤナギを編んで作られた蓋付きのカゴのことで、これが豊岡鞄の原点となっています。その柳行李がバスケット、トランクを経てビニール物、合成皮革ものの製品に変容し現在に至っています。こうした背景のなかで当社が店としての形を整えたのは明和4年(1767年)前後、小間物ごうりを販売していたと記録に残っています。その後、柳行李を京阪、播州方面、そして東は江戸、西は山陽、四国方面にまで販路を広げていき、戦時中には軍事品の運搬用具、携行食用具に各種柳行李を製造して供給を行っておりました。そして昭和14年12月に衣川産業株式会社として法人へ改組し、アメリカを中心にバスケットやかばんの輸出を経て、現在は大手ブランドのライセンス生産から自社ブランド製品を含め、海外を生産拠点にして国内で幅広く取り扱っています。その中でも地元の職人の手によって作られた鞄の生産にもこだわり、豊岡鞄も多くの種類を販売しています。

当社は時代の変遷とともに、その変化に柔軟に応えながら今も皆様に愛される鞄を創り続けています。